なぜアウディだけがクアトロを作れるのか?|機械式4WDが電子制御に勝る理由
「クアトロ」——この言葉は、アウディのアイデンティティそのものだ。
1980年、アウディはフルタイム4WDを搭載した「Ur-Quattro」で世界を驚かせた。舗装路、泥道、雪道——あらゆる路面でWRC(世界ラリー選手権)を23回制覇し、4WDの概念を根本から覆した。
しかし、なぜアウディだけが「クアトロ」にここまでこだわるのか? BMWの「xDrive」、メルセデスの「4MATIC」とは何が違うのか? そして、機械式ディファレンシャルが電子制御に勝る理由とは?
この記事では、ドイツ御三家の4WD技術を、設計思想から徹底比較します。
1. クアトロ誕生の衝撃:1980年
クアトロの歴史を語る前に、1980年当時の4WDの常識を知る必要がある。
1980年以前:4WD = オフロード専用
当時、4WDは「悪路走破のためのパートタイム式」が主流だった。
- パートタイム4WD:必要な時だけ手動で4WDに切り替える
- 用途:泥道、雪道などの悪路専用
- 舗装路では使えない:タイトコーナーブレーキング現象(前後輪の回転差で駆動系が破損)が発生
- 乗用車には不向き:重い、燃費が悪い、曲がらない(強いアンダーステア)
つまり、4WDはジープのような軍用車・オフロード車専用であり、スポーツカーや乗用車には無縁の技術だった。
1980年:Ur-Quattro(初代クアトロ)誕生
1980年のジュネーブ国際モーターショー。アウディは世界を驚愕させる車を発表した。
Ur-Quattro(ウア・クアトロ)
スペック:
- 2.1L 直列5気筒ターボ
- 147kW(200ps)
- フルタイム4WDシステム搭載
- ベベルギア式センターデフ + マニュアルデフロック
革新性:
悪路専用だった4WDを、舗装路でのスポーツ走行に使った初めての乗用車。
WRCでの圧倒的支配
Ur-Quattroは、1981年にWRC(世界ラリー選手権)に参戦。わずか2戦目で初優勝を飾った。
- 1981-1986年:WRCで23回優勝
- 1982年:マニュファクチャラーズチャンピオン獲得
- 1985-1987年:パイクスピーク・ヒルクライムで3連覇
泥道、雪道、舗装路——あらゆる路面でライバルを圧倒した。4WDの「曲がらない」という常識を覆したのだ。
2. クアトロの核心:トルセンディファレンシャル
1986年、アウディはクアトロをさらに進化させた。それがトルセン(Torsen)ディファレンシャルだ。
トルセンディファレンシャルとは?
トルセンは「Torque Sensing(トルク感知式)」の略。機械式でトルクを自動配分する革新的なディファレンシャルだ。
トルセンの仕組み
構造:ウォームギア
ウォームギア(ねじ状の歯車)を使い、トルクの流れを物理的に制御。
基本配分:50:50
通常走行時は、前後輪に均等にトルクを配分。
可変範囲:最大75%
前輪または後輪が滑り始めると、グリップのある方に最大75%のトルクを配分。
反応速度:瞬時
機械式なので、電子制御のような遅延が一切ない。タイヤが滑る瞬間に、物理法則で自動的にトルクが移動する。
なぜ機械式が優れているのか?
電子制御4WDの弱点:
1. センサーで滑りを検知 → 2. ECUで計算 → 3. アクチュエーターで制御
この間にわずかな遅延が発生する。
トルセンの優位性:
滑りが発生した瞬間に、物理的にトルクが移動。遅延ゼロ。
コーナーの真っ最中、加速Gがかかっている瞬間——電子制御では間に合わないタイミングでも、トルセンは即座に反応する。
3. クアトロの2つの顔:縦置き vs 横置き
実は、「クアトロ」と一口に言っても、エンジンの搭載方法で全く異なるシステムが使われている。
縦置きエンジン用クアトロ:2つの世代
A5、A6、A7、A8、Q5、Q7など、中型以上のモデルに搭載。ただし、最新世代では大きな変化が起きた。
従来型クアトロ(〜2015年頃)
方式:トルセンデフ or プラネタリーギア式センターデフ
基本配分:前40:後60(リア寄り)
可変範囲:前15〜70:後85〜30
特徴:常時4輪駆動、遅延ゼロの機械式制御
これが「真のクアトロ」と呼ばれるシステム。40年間守られてきた哲学だ。
Ultra quattro(2016年〜、最新世代)
初搭載:2016年 A4 allroad quattro
方式:電子制御AWDクラッチ(センターデフなし)
基本配分:FF(前100:後0)
4WDモード:前後可変配分
特徴:高速巡航時はプロペラシャフトを切断してFF化、燃費優先のオンデマンド式
仕組み:
- フロント:トランスミッション出力軸のマルチプレートクラッチでプロペラシャフトを切断
- リア:デフ内蔵のデカップリングクラッチも切断
- 結果:リアドライブトレイン全体が駆動から切り離される
- 効果:燃費改善約9%、重量約4kg軽量化
⚠️ 重要:Ultra quattroは従来のクアトロとは根本的に異なる。センターデフを持たず、常時4WDでもない。燃費規制対応のため「オンデマンド式」に変更された。
Ultra quattroへの評価:
燃費性能は向上したが、「センターデフを持たないquattro」として賛否両論。
「クアトロの純粋性が失われた」という批判もあるが、アウディは「必要時には即座に4WD化する予測制御」で対応。トラクション性能は損なわれていないと主張する。
最新のA5(2025-)もUltra quattroを採用しており、これが今後の主流になる可能性が高い。
横置きエンジン用クアトロ
A1、A3、TT、Q2、Q3など、小型モデルに搭載。
ハルデックス カップリング
方式:電子制御式油圧多板クラッチ
基本配分:前95:後5(FFベース)
可変範囲:前50〜100:後0〜50
特徴:オンデマンド式、前輪スリップ時に後輪駆動
これは厳密には「スタンバイ式4WD」。通常はFFとして走行し、必要な時だけ後輪に駆動力を配分する。
⚠️ 重要な違い:
縦置き従来型クアトロ = 真のフルタイム4WD(常に4輪駆動)
縦置きUltra quattro = オンデマンド式4WD(普段はFF、2016年〜)
横置きエンジン用クアトロ = オンデマンド式4WD(普段はFF)
同じ「クアトロ」でも、世代とレイアウトで全く違う。
4. BMW xDrive:FRの延長線上にある4WD
BMWは「駆け抜ける歓び」を掲げるFR専業メーカーだった。そんなBMWが開発した4WDが「xDrive」だ。
xDriveの設計思想
BMWにとって、4WDは「FRのハンドリングを損なわないための補助システム」だ。
xDriveの構造
方式:電子制御式多板クラッチ
基本配分:前40:後60(FR寄り)
可変範囲:前0〜50:後50〜100
制御:DSC(ダイナミック・スタビリティ・コントロール)と連携
xDriveの特徴
- 先読み制御:車速、ステアリング角、横G、ブレーキ圧などから「次に何が起きるか」を予測
- FRフィーリングの維持:通常時は前0:後100でFRとして走行可能
- アンダーステア補正:アンダーステアが出そうな時は後輪トルクを増やして修正
- オーバーステア補正:オーバーステアが出そうな時は前輪トルクを増やして安定化
BMWの哲学:
4WDは「安全装置」であり、「駆け抜ける歓び」を損なってはいけない。
→ 普段はFRとして走り、危険な時だけ4WDが介入する
5. メルセデス 4MATIC:安全性最優先
メルセデス・ベンツの4WDシステム「4MATIC」は、安全性とトラクションを最優先する。
4MATICの多様性
4MATICは、車種によって全く異なるシステムを採用している。
縦置きエンジン用(Cクラス、Eクラス)
方式:FRベース + クラッチで前輪引き込み
基本配分:可変(状況に応じて最適化)
特徴:後輪駆動の感覚を残しつつ、必要時に前輪を使う
横置きエンジン用(Aクラス、GLAクラス)
方式:FFベース + 後輪多板クラッチ
基本配分:前100:後0(FFベース)
特徴:前輪スリップ時に後輪に最大50%配分
AMG 4MATIC+(高性能モデル)
方式:後輪に2つのクラッチパック搭載
基本配分:可変
特徴:左右後輪で独立したトルク制御(トルクベクタリング)
4MATICの哲学
メルセデスの考え方:
「最高のトラクションと安全性」を追求。
→ スポーツ性よりも、確実に止まる・曲がる・加速することを優先
6. ドイツ御三家4WD:徹底比較
| 項目 | アウディ クアトロ | BMW xDrive | メルセデス 4MATIC |
|---|---|---|---|
| 方式 | 機械式センターデフ(縦置き従来型) 電子制御クラッチ(Ultra/横置き) |
電子制御多板クラッチ | FR/FFベースで異なる |
| 基本配分 | 前40:後60(縦置き従来型) 前100:後0(Ultra/横置き) |
前40:後60 | 可変(車種による) |
| 可変範囲 | 前15〜70:後85〜30(縦置き従来型) | 前0〜50:後50〜100 | 車種により異なる |
| 反応速度 | 瞬時(機械式) 高速(Ultra) |
高速(電子制御) | 高速(電子制御) |
| 設計思想 | 常時4輪駆動でトラクション最大化(従来型) 燃費優先(Ultra) |
FRフィーリング維持 | 安全性とトラクション優先 |
| ブランドDNA | クアトロ = アウディの象徴 | 駆け抜ける歓び(FR重視) | 最善か無か(安全重視) |
| 得意な路面 | あらゆる路面(WRC実績) | ワインディング+雪道 | 高速+悪天候 |
7. なぜアウディだけがクアトロにこだわるのか?
理由①:縦置きFFレイアウトの歴史
アウディは1960年代から「縦置きFF」を採用してきた。この独特なレイアウトが、クアトロ開発の土台になった。
縦置きFFの特徴
- エンジンが前車軸より前に配置される → フロントヘビー(重量配分56:44)
- トランスミッションの後ろにプロペラシャフトを繋ぎやすい
- 4WD化が容易(FFから4WDへの改造が簡単)
BMWやメルセデスはFR(後輪駆動)だったため、4WD化には大きな設計変更が必要だった。しかしアウディは、FFから4WDへの移行がスムーズだった。
理由②:WRCでの成功体験
1981-1986年のWRCでの圧倒的成功は、アウディにとってクアトロ = ブランドの象徴という認識を植え付けた。
2012年:ル・マン24時間レース
Audi R18 e-tron quattro(ハイブリッド + クアトロ)が、ハイブリッド車として初優勝。
2014年:ル・マン通算13回目の優勝
クアトロ搭載車での勝利。
クアトロは、アウディのモータースポーツDNAそのものなのだ。
理由③:4WD = アウディのアイデンティティ
BMWは「駆け抜ける歓び(FR)」、メルセデスは「最善か無か(安全)」——では、アウディは?
アウディ = 「技術による先進(Vorsprung durch Technik)」
その最たる例が、クアトロだ。
アウディにとって、クアトロは単なる駆動方式ではない。ブランドの存在理由なのだ。
8. クアトロの弱点:フロントヘビー
クアトロにも弱点はある。それが重量配分だ。
フロントヘビーの問題
アウディの縦置きFFレイアウトは、エンジンが前車軸より前に配置される。その結果:
- 重量配分:前56:後44(BMW 50:50に対して不利)
- アンダーステア傾向:コーナリング時に曲がりにくい
- 「ノーズヘビー」批判:BMWファンからよく指摘される
アウディの解決策
しかし、アウディはこの弱点をクアトロと電子制御で補っている。
対策1:クアトロのトラクション
4輪すべてにトルクを配分することで、アンダーステアを強力なトラクションで打ち消す。
対策2:ESC(横滑り防止装置)との統合
1000分の数秒でトルク配分を変え、姿勢を崩さずに走行。
対策3:quattro Sport Differential(RSモデル)
後輪左右で独立したトルク制御により、旋回性能を向上。
BMWほどピュアなハンドリングではないが、どんな路面でも速く走れる——それがクアトロの強みだ。
9. 電動化時代のクアトロ:e-tron quattro
電気自動車の時代、クアトロはどう進化するのか?
e-tron quattroの仕組み
アウディの電気自動車「e-tron」シリーズには、電動版クアトロが搭載されている。
e-tron quattroの構造
フロント:1つの電気モーター
リア:2つの電気モーター
合計出力:370kW(503ps)
トルク:800Nm超
機械式のセンターデフは不要。電気モーターで直接トルクを制御できる。
e-tron quattroの優位性
- 反応速度がさらに向上:電気モーターは瞬時にトルクを変更可能
- トルクベクタリング:後輪左右で独立制御
- 回生ブレーキ統合:減速時もトルク配分を最適化
10. どのシステムが優れているのか?
答え:「目的による」
アウディ クアトロが向いている人
- あらゆる路面で速く走りたい:雪道、泥道、雨天でも安心
- トラクション重視:加速時の安定性が欲しい
- 4WDのアイデンティティが好き:クアトロのヤモリマークに憧れる
- 常時4輪駆動の安心感:普段からフルタイム4WDで走りたい(従来型)
BMW xDriveが向いている人
- FRのハンドリングが好き:普段はFRとして走りたい
- スポーティな走りを重視:ワインディングで楽しみたい
- 雪道対策が主目的:普段はFR、冬だけ4WD
- BMWのブランドが好き:駆け抜ける歓びを損ないたくない
メルセデス 4MATICが向いている人
- 安全性最優先:確実に止まる・曲がる・加速する
- 悪天候での安心感:雨天、雪道での高速走行
- 高速巡航が多い:アウトバーンを安定して走りたい
- メルセデスのブランドが好き:最善か無かの哲学に共感
まとめ
- クアトロの歴史:1980年Ur-Quattro誕生、WRCで23勝、4WDの概念を覆した
- トルセンディファレンシャル:機械式で瞬時にトルク配分、遅延ゼロ
- 2つのクアトロ:縦置き従来型(常時4WD)、Ultra quattro(オンデマンド式、2016〜)、横置き(オンデマンド式)
- BMW xDrive:FRフィーリング維持、先読み制御、前0〜50:後50〜100
- メルセデス 4MATIC:安全性優先、車種で異なるシステム
- アウディの哲学:クアトロ = ブランドアイデンティティ、技術による先進
- フロントヘビーの弱点:重量配分56:44、トラクションでカバー
- 電動化:e-tron quattro、電気モーターで直接制御
「クアトロ」は、アウディの技術思想そのものだ。
1980年、誰もが「4WDは曲がらない」と信じていた時代に、アウディはWRCを23回制覇し、その常識を覆した。
機械式ディファレンシャルは、電子制御よりも遅延が少ない。常時4輪駆動は、オンデマンド式よりもトラクションが高い。
ただし2016年以降、Ultra quattroという燃費優先のオンデマンド式も登場した。クアトロの哲学は少しずつ変化している。
もしあなたが次にアウディに乗る機会があれば、雪道や雨天時にアクセルを踏んでみてほしい。
地面に吸い付くような安定感——それが、40年以上磨き続けられてきたクアトロの真髄だ。

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